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[第76回]-デジタル教科書の功罪

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日本の小中学校の義務教育はもちろん、高校から大学まで教育の現場ではデジタル化は着々と進行しています。その原動力となっているのが、文科省が提唱する「教育DX、ICT教育、GIGAスクール構想」などという言葉で、教科書のデジタル化、タブレットの全生徒への普及という目に見える形であらわれています。

スマホが生活に入り込んで以来、こうした状況はいずれやってくると筆者は予想していました。ところでその成果はどうでしょうか。教育の効果は紙の教科書時代から高まったのでしょうか。

デジタル教科書で学校現場はどう変わる メリットは?課題は?
デジタル教科書は、2019年から紙の教科書の「代替教材」として小中学校や高校などで使用が認められ、今年度(2024年度:筆者注)からは小学5年生から中学3年生を対象に英語や数学などで本格的に使われ始めています。
(NKH NEWSWEB 2025年2月16日)

文科省では「2030年度にも「正式な教科書」として位置づけ、新たな運用を始めたい」(上記記事)との案をまとめており、この方針は変わらない模様。

ただ、海外では教育のデジタル化を見直す動きもあります。

デジタル導入の「教育先進国」で成績低下や心身の不調が顕在化…
フィンランド、紙の教科書復活「歓迎」

以前のリーヒマキ(フィンランドの市:筆者注)では、パソコンを使った授業が週に20時間を超えることもあった。「子どもの集中力が低下し、短気になるといったことが、その頃、フィンランド全体で問題化した。デジタルに偏った教育への懸念が高まった」。
(読売新聞オンライン 2025年03月18日)

筆者は20年以上にわたり、企業、専門学校でパソコンを使って各種アプリの講師を務めてきました。そのなかで講習生、学生たちからよく言われたのが、
1.「先生の操作が速すぎて何をしているのかわからない」
2.「画面を真剣に見ていてもメニューは消えるし、おなじメニューを出す方法がわからない」
3.「どこをクリックするのか迷子になるともう講義について行けなくなる」

という意見でした。

紙の教科書ならば前のページには習ったこと、後のページにはこれから習うことが順ぐりにでてきます。しかしデジタル教科書ではひとつの画面がめまぐるしく切り替わるため、目印をつけることさえできません。
講義内容がどのように進むのかをあらかじめわかっていないと学習にはついて行けないのです。

何かを初めて学ぶにはデジタルはとてもハードルが高いことがわかります。

デジタル画面しかない教室で生徒が何をしていいのかわからなくなり、情緒不安定に陥ることは当たり前といえるでしょう。

今の若者をさして「今の若者はスマホ世代だからネイティブデジタル。デジタルを使いこなしている」とよく言われますが、本当でしょうか。

スマホの使い道は主に娯楽用途。指先で画面をなぞっているだけでは、何かを学び知識や技術が身につく可能性は限りなく低いと筆者は考えます。

先日、ネットで調べ物をしていて、あることばと出会いました。

美しい言葉とはどういうもの? 谷川俊太郎×内田也哉子のスペシャル対談。
VOGUE JAPAN ではコロナ禍の最中にあった2020年、彼とも親交の深いエッセイニストの内田也哉子との対談を特集。70年以上にわたって多くの人の心に残る言葉を残した谷川俊太郎が考える「美しい言葉とは」?
(VOGUE JAPAN 2024年11月19日)

この対談の後半にこういうことばのやりとりがありました。

内田 今は電子書籍もあるけれど、やはり手に取ったときのサイズ、質感を感じられるような本との出会いが一番幸福じゃないですか?

谷川 それはそうですよね。電子書籍は文字が大きくなるからありがたいんですが、どうも情報を読んでいる感覚になって、それが嫌なんです。やっぱり本はモノであることがいまだに大事ですね。

「本はモノであることが大事」

その理由は語られてはいませんが、本がモノであると同時に人間もモノであるから-筆者はそう考えました。

デジタル教育では無限に情報を流せます。しかし生徒からすると情報しか受け取れない仕組みであれば、それはもう教育ではないのかもしれません。デジタル全盛の時代にこのことばの重みが伝わってきました。(水田享介)

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