前回、第62回のコラムでは阪急グループ創設者、小林一三の評伝本をご紹介しました。尽きることのないアイデアと行動力で数多くの企業を立ち上げた生涯は、まさしく起業家そのものでした。
では、それ以降、スケールの大きな起業家は日本にいたでしょうか。
あまり知られてはいないかもしれませんが、筆者の知る限りはひとりいます。
株式会社シャープの副会長を務めた佐々木正氏です。
今回のコラムは、佐々木正氏の評伝、『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(大西康之・新潮文庫) をご紹介します。

佐々木正氏は数々の家電を開発し、また現在あるパソコンの基礎技術を実用化した技術者です。そのため起業家というよりは技術者、もしくは発明家と呼んだ方がふさわしいかもしれません。しかし著者の大西康之氏は、佐々木氏はサラリーマンではあったが、希有の起業家でもあったと表現しています。
佐々木氏はシャープ社内で新開発の技術や製品化の相談を受けると、即座に世界中のノーベル賞級の技術者とコンタクトを取り、あっというまに実用化への道を拓くのが常だったそうです。
まさしく即断即決、八面六臂の人。著者の大西之氏は、この本のあとがきに佐々木氏をこう描いています。
「アポロ宇宙船向けの半導体開発に携わり、電卓戦争を勝ち抜き、スティーブ・ジョブズにインスピレーションを与え、孫正義を見出した。」
佐々木氏が実用化した技術は多すぎて、詳細な紹介は不可能ですが、以下に簡略して記載します。
佐々木正氏は京都大学に在学のまま逓信省に出向(青田刈り?)し、それまで雑音が多かった黒電話を実用レベルに改良。大学卒業後は戦時中のため陸軍登戸研究所に配属。弱電研究者として殺人電波と言われた電磁波を研究。のちにこの技術を発展させたものが日本初の電子レンジとなります。
トランジスタ研究ではアメリカの最先端技術と互角に戦い、いち早くLSIを実装した電卓を発売。また当時は不可能と言われた液晶を画面表示に採用。これらの技術が「シャープの電卓」を不動のものとします。
実はこれらの技術はNASAのサターンロケットや月着陸船に活かされ、NASAから功労賞も受けています。
また、後進の育成にも力を注いでいます。二十代でまだ無名だった孫正義氏が発明した自動翻訳機を大金(1億6千万円)で買い取り、のちのソフトバンク誕生につながりました。
ご存じのようについ先日、ソフトバンク(孫正義氏)はAI業界トップのOpenAIとAI開発で巨額の投資を発表しました。
ある意味で、佐々木氏は現在のIT業界の基礎を作ったともいえる人物です。筆者も過去に思いがけない企業の提携や突然生まれた技術革新を目にしてきました。
古くは家電メーカーのシャープが先進的パソコンを産み出した謎、アップルコンピューターの奇跡的復活とマイクロソフトとの提携、台湾企業によるシャープの買収、日本企業の低迷と韓国サムスンの躍進・・・。企業興亡におけるいくつもの謎や絡まった糸がこの本をよむことで、一気に解決することは間違いないでしょう。
読者はこの本でコンピュータ業界、IT業界の全歴史を見てきた気分になりますが、それは世界を鳥瞰してきた佐々木氏の視点を借りたせいか、佐々木マジック(現実歪曲空間)のせいかもしれません。
文庫版の『ロケット・ササキ』は2019年「文庫版あとがき」が追加されており、また孫正義氏も一文を寄せています。
いまもダイナミックに動き続けるIT業界を知るには、またとない一冊になっています。(水田享介)