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[第51回]-『【自伝】縁ありき』(末広未来)のご紹介

2024.09.26

 今回はアスカ・エフ・プロダクツから出版された個人史、『【自伝】縁ありき』(著者:末広未来)をご紹介します。
 ページ数150ページ。読みやすい文章で一気に最後まで読み通すことができました。文筆を職業としていない方が、文体を最後まで崩すことなく内容を伝えきるのは、意外と大変なことです。

 一冊の本になったことでその価値はさらに高まったと言えるでしょう。

 話は変わりますが先日、筆者は所用で東京郊外を走る環状線・武蔵野線に乗って出かけました。
 その途中、半袖短パンの学生の一団がガヤガヤと乗り込んできました。ウェアを見てとある私立高サッカー部の学生たちとわかりました。

 彼らを観察しているとスマホを熱心に見ていますが、驚いたことにうちふたりの膝が負傷しています。ちょっと治りかけでもまだ皮膚がくっいていない子。もうひとりは今日ケガをしたのか、傷跡も生々しく向こうズネ周辺は拭き取れていない血が乾いたまま残っています。

 キズの手当てをした様子はなく、それでも元気に談笑しながらスマホをクリックしています。どうせいずれ治るしと気にもとめていない風です。

 運動部の高校生とはこういうものだったのかと感心しました。

 念のためどんなチームかと検索すると、ABCと3つもチームを抱えてその日の試合は3チームとも勝利を収めていました。強豪校のイレブンですからケガなど気にならないわけです。

 最初に紹介した著書に戻ります。実は著者の広末さんはふたりのご子息を育てる過程で、ふたりとも同じ東京都下の私立高校サッカー部に入部しています。3才違いの兄弟ですから、母親として足掛け6年もサッカー漬けの日々だったようです。おそらく生傷の絶えない高校生を間近にみていらしたのではないでしょうか。その結果は見事に花開きました。

 「兄弟でベスト8、ベスト4になり共にレギュラーで活躍できたので、父母会の友人に「おいしい親だ」といわれました。」(本文より抜粋)

 さて、著者の末広さんは東京生まれというわけではありません。

 昭和二十年代の敗戦間もない頃、大分県に生を受けた末広さん。炭焼きを生業とする両親に育てられました。

 すぐにエネルギー革命が起き、燃料はガス、電気へと変わり、炭の需要は激減します。ご両親はそれにも負けず、シイタケ栽培に業種転換。数年のうちにシイタケ栽培地、ご自宅を手に入れるほどの働き者だったそうです。

 高度成長期に入る前の日本の姿と社会インフラが様変わりする中で、時代に遅れまいと懸命に働くご両親が生き生きと活写されており、日本の社会史として読んでも興味深いものでした。

 昭和三十年代の終わりに、高校を卒業した末広さんは東京の企業に就職します。東京に身寄りはなく二十歳前の乙女は単身で大都会で働く道を選択したのでした。

 その後、転職と結婚を経て、大変な苦労をして東京に新居を構えます。その詳細は著書を読んでいただくとして、戦後の東京にひとりでやってきた女性の半生はかくも大変なものかと驚きました。

 住むところ、親戚づきあい、さまざまな諍い、そして義父母の介護と子育て・・・。働き詰めの夫は頼れず、ひとり孤軍奮闘するほかなかったのでした。

 東京に住む人が抱く地方出身者への偏見に驚いたこともありました。

 「東京に住んでいるというだけで、地方に住んでいる人に優越感を持っている妙な人種がいます。」(本文より抜粋)

 実はこのコラムを書いている筆者も、佐賀県出身です。ただ祖父の代から母方は昭和初期に東京・立川に航空技師として職を得て一族をなしていましたから、叔父叔母などは東京の大学に進学していました。筆者も大学の選択肢の少ない九州ではなく、迷いなく東京の大学に進学。東京でひとり暮らしどころか、大勢の親類、いとこたちに囲まれて生活してきました。

 筆者の私も、東京生まれの友人から九州男児と度々からかわれましたが、よくよく聞くと両親は戦後に上京してきた新参者にすぎないことが多かったようです。

 著者の末広さんの東京の暮らしは決して平坦ではありません。それもこれも、昭和期の過重労働、モラルハラスメント、女性差別、地方出身者への偏見などが原因で令和の今ならすぐに炎上しそうなことばかり。

 昔の思い出話として軽い筆致ですが、本の形で昭和の実像を残しておくことはとても価値のあることと筆者は感じました。

 この著書は23年前に書かれた自叙伝です。今年(2024年)になって本にする時期を迎えられたようです。
 表紙はスキューバダイビングを楽しむご本人(?)と熱帯魚たちのイラストとなっているのは、ご本人の趣味でしょうか。本書では一切触れられていませんので、続編を執筆してその謎を解き明かしていただきたいですね。(水田享介)

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