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[第26回]-ビートルズの革命-羞恥心を取り除いて執筆する方法

2023.06.19

 先日(2023年6月12日)、NHKのドキュメンタリー番組「映像の世紀バタフライエフェクト-ビートルズの革命」を観ていて、おもしろいことに気がつきました。

 この回は「ビートルズの革命」というタイトルの通り、ビートルズの結成から世界的人気になるまでのサクセスストーリーを描いています。

ビートルズの革命 赤の時代 『のっぽのサリー』が起こした奇跡
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/W4W1WR9XMN/
(初回放送日: 2023年6月12日 再放送:2023年6月21日(水)深夜)

 ビートルズ世代の後に生まれた筆者は、その楽曲をBGM程度にしか知りません。この番組でビートルズがアメリカの黒人音楽、特にリトル・リチャードの影響を受けて生まれたことを初めて知りました。

Little Richard – “Long Tall Sally” – from “Don’t Knock The Rock” – HQ 1956

 ロック・ミュージックの生みの親と言われるリトル・リチャード。彼の叫ぶような歌い方は、第二次大戦後の若者を熱狂させました。ビートルズはそれを洗練された形で引き継ぎ、今日の名声を得るに至りました。

 しかし、ビートルズが最初のヒットにたどり着くまでには、幾度かの脱皮という名の変革が求められました。

 ポール・マッカートニーはメジャーデビュー前にこう言ったそうです。
「羞恥心さえ捨てれば何だってできる。有名になれる。」
(「映像の世紀バタフライエフェクト-ビートルズの革命」より意訳)
「お金になるなら、風船だって着てやる」
(スーツ姿で演奏するよう言われてたジョン・レノンのことば)

 ポールが言った羞恥心とは、何に対する恥ずかしさだったのでしょうか。番組ではリトル・リチャード張りに絶唱し派手なパフォーマンスで「魅せる演奏」をすることが恥ずかしかったと描いています。

 それもあったでしょう。アマチュアバンドがプロになる通過点ですから。しかしそれ以上の羞恥心もポールは抱いていたように思えます。
 ビートルズメンバーは自分たちを労働者階級と自覚していました。1950年代のイギリスで労働者階級と言えば、貴族や上・中流階級に使役されて一生を終わる存在でしかありませんでした。
 そんな彼らが、アッパークラスのスーツ姿にネクタイを締めて、観衆の前でロックを歌う。もし売れなければ残るのは恥ずかしさだけ。
 自分たちのアイデンティティと汚れた革ジャンを捨て、「紳士の国、イギリス」というブランドで売り出すわけですから、もう羞恥心は捨てるほかなかったのです。

 実は、羞恥心とは執筆を妨げる要因でもあります。

 功成り名を遂げた方の本は、往々にしてよいことだらけ、成功体験だらけの自叙伝になりがちです。それは今ある名声を補強するための自伝であり、今の地位を誰からも汚されたくはないという保身がそうさせているからです。

 その分だけ書いたものに広がりはなく、その結果、読む人の心に響かず退屈な自慢話に終始してしまいます。

 とはいえ、誰にでも人に知られたくない恥ずかしい経験はあるものです。なぜそんな行動を取ってしまったのか。なぜそれを恥ずかしく思ったのか。なぜ今も恥ずかしく思っているのか。封印している体験は掘り下げて考えないため、本当の自分を見つめる機会を逸しているのです。

 筆者はこうした羞恥体験こそ文章にすることをおすすめします。特に自分の人生で特筆することはない、書きたいことが思い浮かばない、という方は自分の恥ずかしかった思い出を書き出してください。

 「私の恥ずかしかった体験-ベスト20」をタイトルにして、箇条書きで書き出すのもいいでしょう。

 ランキング下位から書くのが心理的負担は小さいですが、上位から書き始めることをおすすめします。
 書いていくうちにもっと恥ずかしかった思い出がわき上がってくるからです。

 筆者はコラムの連載を始めた当初、「新人だった頃、教えられたこと」というテーマで、新入社員時代の失敗の数々を思い出し書きしました。
 いまでは笑い話のひとつですが、体験した当時の自分には永遠に封印したいことばかりでした。

「新人だった頃、教えられたこと」(「できる!」ビジネスマンの雑学-教育)
https://www.asuka-g.co.jp/column/cat3993/index_6.html

 自分の失敗をテーマに書いて以降、いくぶんか筆が軽くなった気がします。もう恥ずかしいものは何もない。そんな気持ちが心の負担を軽くしてくれたと思っています。

 人生にたいした事件はなかったと思う方は、自分がやらかした体験の記憶を封印しているだけではないでしょうか。(水田享介)

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