今回のコラムは文字についてです。皆さんは書籍に使われているフォント、日本語では「書体」とも呼ぶ文字のデザインについてどの程度ご存じでしょうか。
一般の方はあまり認識していないかもしれませんが、日本語の書体はれっきとした商品です。書体は自然に発生したわけではなく、書体をデザインして販売するメーカー、フォントメーカーがあり、彼らが膨大な時間と手間をかけてひとつひとつ制作した成果物です。
もちろん、世の中に出回っているスマホやタブレットのスクリーン、WindowsやMacintosh等、パソコン画面に表示されるフォントはあらかじめOSに組み込み済みです。そのため、ユーザーは本体そのものやOSに対価を払うことはあっても、フォントにお金は払っていません。
そもそもOSとフォントは不可分のため、フォント代などナンセンスという意見もあるでしょうが・・・。
でも、これはシェア争いにしのぎを削るデジタル業界ならではの事情があるからです。他社がいくつものフォントが無料で使えるのに、一社だけがフォント代金を上乗せしようものなら、それだけでそのOSなり会社は市場を失います。
ところが、デザイナーや出版社・印刷会社といった商業デザイン・商業出版の世界では、書体の使用権として対価を支払っています。
これには先にも書いたように、日本語が活字印刷で普及し始めた明治時代から続く慣習で、文字デザインの制作会社に対価を支払ってきたことに由来します。
【参考資料】
フォントのライセンスはわかりづらい?
モリサワnote編集部が法務担当を突撃してみた
(モリサワ note編集部 2023年7月6日)
https://note.morisawa.co.jp/n/nd1ab06673e07
日本語を表現するには、ひらがな、カタカナ、漢字、ルビなど幾種類もの文字種が必要で、ひと書体でおおよそ7000文字、旧字体を含めると2万を越える文字を揃える必要があります。
デジタル化以前は、これを文字の大きさ(級数・ポイント)毎に揃えると、この数倍の文字数をデザインすることとなります。
熟練のフォントデザイナーが数十人がかりで制作しても、5、6年もしくは10年単位の時間が必要です。
文字の美しさと読みやすさを兼ね備えた書体は、このように一朝一夕にはできませんから、日本の場合、書体はそれなりの価格で流通してきました。
筆者がデザイナー数人を抱えて広告制作会社を経営していた1980~1990年代、DTP(デスクトップパブリッシング)を始めるには、画面表示だけのスクリーンフォントに一書体一台につき3万~5万円、レーザープリンターに搭載するプリンタ用フォントには一書体あたり15万~20万円ほどかかっています。
ひとたびOSのアップグレードがあると、時を移さずアプリもバージョンが上がり、書体の扱いが変わることもあります。その時は書体の買い直しが必要となり、その出費は数十万円となります。広告制作の利益からこれらを経費として払うと、儲けは無しに近いか、赤字の心配さえすることとなります。
さて、現在の書体ビジネスはどうなっているでしょうか。
有名なアドビ(Adobe)社では、アドビの全アプリを一括で契約(約7万円/年間)すると、アドビが提供する日本語フォントを無制限に使えるサービスがあります。
Adobeユーザーに朗報! 日本語フォントが650種類超えに、
Adobe Fontsで使用できる日本語書体一覧のPDF 2023年最新版
Adobe Fontsは、Adobe CCのユーザーなら追加料金なしで利用
(2023年4月12日 coliss)
https://coliss.com/articles/build-websites/operation/work/adobe-fonts-pdf-202304.html
一見良さそうに思えますが、このサービスに加入していない有名フォントもあるため、プロのデザイナーには肝心の書体が使えないことも起こりえます。
また、ここに加入しているフォントメーカーがアドビのサービスから抜けると、とたんに使えなくなりますから、将来的に不安が残ります。
もう一社、日本を代表するフォントメーカーに、モリサワがあります。こちらは「モリサワパスポート」という比較的使いやすいサブスクリプション契約を行ってきましたが、このサービスはすでに昨年秋に終了。
今後はアドビ並みに常時オンラインで監視する方式の契約、「Morisawa Fonts」に移行するそうです。
また、モリサワパスポートで使用してきたフォントも順次、使えなくなるためグラフィックデザイナー、書籍デザイナーは戦々恐々の状態。
「モリサワパスポート」から「Morisawa Fonts」への移行で何が変わるのかは、まだわからない部分も多く、将来、何が起こるか不透明なため、少なくない混乱が見受けられます。おそらくですが、これまでのユーザー契約はリセットされ、新規契約となるようです。
高品質のフォントを使うための経費ではありますが、ネットへの常時接続は必須となるなど、これまでの環境通りには使えないユーザーも出てくるかもしれません。
完全にフリーで使える書体にはGoogleフォントがあります。
【商用可】定番!Google Fontsのおすすめ日本語フォント
Google Fontsでは全フォント1400以上(そのうち日本語フォントは50程度)が提供されています。さらにGoogleFontsでは、Webフォントとしての形式でも提供されているので、Webデザイナー・クリエイターに重宝されています。
(デザナビ 2023年3月9日)
https://wkwkdesign.com/japanese-googlefonts/
50書体も揃っているならGoogleフォントで良さそうですが、これまで伝統的に使われてきた書体ではないため、書籍や印刷で使われることはまだ少数です。また、Webでの利用に重点を置いているため、印刷機などとの相性の問題も残っているようです。
デザイナーによっては、書体を分解(アウトライン化)するとすべてばらけてしまい、デザインに使える仕様ではないという意見もあります。
Microsoft Officeにせよ、AdobeCCにせよ、Windows OSにせよ、世の中のアプリケーションソフトは、使用権の買い取りから使用期限を区切るサブスクリプション契約が主流となりました。
導入時の負担は少なく済みますが、何年も払い続けた料金の累積は大変な金額になります。そのうえ、契約解除するとユーザーには何も残りません。筆者個人の意見ですが、利用料を払い続けても手許に何も残らないのは、すこし寂しすぎはしないでしょうか。
IT企業とユーザーの間にあるソフトウェア契約は、本当にこれでいいのでしょうか。利用者の疑問が解消しない限り、まだまだ試行錯誤は続きそうです。(水田享介)