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【新連載/第15回】自分史作成事例――「書くことで、追い詰められた状況を乗り越えた」

2025.02.21

この連載ブログは、「あなたの人生、そしてあなたの会社の『ブランド』を、本にしませんか?」という提案のもと、あなたの中にある「遺産」(経験、知見、価値観、想い)を、あなただけの「一冊の本」として、未来へ遺すためのお手伝いをする全30回のシリーズです。「本」という形を通して、あなたの人生、そしてあなたの会社の「ブランド」を、より豊かに、そして後世に伝えていきましょう。今回は第2部、第15回目です。(過去記事:第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回 / 第5回 / 第6回 / 第7回 / 第8回 / 第9回 / 第10回 / 第11回 / 第12回 / 第13回 / 第14回

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『あなたの人生を、最高傑作に。~人生を編集し、未来へ遺す30のヒント~』
第1部:あなたの中に眠る「遺産」を発見する(1〜5回)
第2部:自分史を編み、未来へ遺す(6〜15回)
第3部:ブランドストーリーを紡ぎ、未来へ繋ぐ(16〜25回)
第4部:「本」が繋ぐ、過去・現在・未来(26〜30回)

【 今回は第2部の15回目です 】


  

自分史の総括――人生を振り返り、形にする意味と、贈る喜びと。

~『【自伝】縁ありき』著者・末広未来さんのストーリー~

これまでの連載で自分史づくりの方法や意義を探ってきましたが、実際に自分史を完成させた方の体験には、また違った重みと感動があります。今回は、苦しい状況を乗り越え、文章に自分の人生を刻んだ末広さんの実体験をお届けします。末広さんは、書くことで心の整理を図り、家族や友人へ自分の歩みを贈るという意味深い体験を経て、書籍『【自伝】縁ありき』として出版されました。

以下の記事では、末広さんの生い立ちから、上京後の孤独や苦労、そして自伝出版に至るまでのエピソードと、書籍の魅力をご紹介します。

『【自伝】縁ありき』末広未来・著(明日香出版社)

 

1. 苦悩のなかで生まれた「書く決意」

末広さんが自分史づくりに踏み切ったのは、子育てと義母の認知症という重い現実に直面し、誰にも頼れない孤独な状況にあったからだといいます。
「このままでは、死んでしまうかもしれない」という切迫感の中、彼女は自分の心を整理し、前向きに生きるために筆を取る決意をしました。書くことで、苦しみが少しずつ和らぎ、「がんばらなきゃ」という力が湧いてきたと語っています。

「誰も助けてくれない、と思うときほど、文章にして自分の気持ちを見つめ直すと、少しだけ“がんばろう”って思えてくるんです。」

 

2. 激動の時代を生きた両親

末広さんは、敗戦間もない昭和二十年代に大分県で生まれました。ご両親は炭焼きを生業としていましたが、やがてエネルギー革命が起き、燃料はガスや電気へと移行し、炭の需要が激減。そこでご両親はシイタケ栽培に業種転換し、数年のうちに自宅や栽培地を手に入れるほど懸命に働かれたといいます。

「子どものころは、両親が毎日必死に働く姿が当たり前でした。いま振り返ると、あの時代に対応していく大変さは相当なものだったんだろうな、と思います。」

日本が高度成長期に向かう直前の社会インフラが大きく変わる時代背景が、末広さんの家庭にもダイナミックな影響を与えていました。その後、昭和三十年代の終わりに高校を卒業した末広さんは、単身で東京の企業へ就職。身寄りのない都会で働く道を選ぶという、当時の若い女性にとっては相当な覚悟が必要な決断でした。

 

3. 東京での孤軍奮闘が原動力に

上京後の末広さんは、転職や結婚を経て東京に新居を構えるまでに、多くの苦労を重ねました。義父母の介護と子育てが重なっても、夫は仕事で忙しく頼れない。地方出身者に対する偏見や、親戚づきあいのトラブルもあったそうです。

「東京に住んでいるだけで妙に優越感を持つ人たちがいるのには、本当に驚きました。偏見があると知ってはいましたが、いざ自分が体験するとかなりつらかったですね。」

そんな生活の中で追い詰められた末広さんが選んだのが、「自分史を作る」という方法でした。実家から持ってきた戸籍謄本や成績通知表、思い出の写真などを整理しながら、自身の半生を“ですます調”で気負わずに書き綴ることで、心の整理と過去の再発見が進んだといいます。

 

4. 書きながら再認識した“母の存在”

末広さんは自分史をまとめる過程で、「一番自分を心配してくれたのは母だった」という事実を改めて実感しました。

「書いていくうちに、『ああ、一番私のことを気にかけてくれていたのは母だったんだな』って気づいて。昔は気づかなかっただけで、いま振り返ると本当にありがたい存在だったと感じます。」

自分史を書いたことで“劇的に新しい自分を発見した”わけではないと言いが、その過程で見つめ直した両親や自分の過去が、改めて心の支えになっているのは確かなようです。

 

4. 周囲の嬉しい反応

いざ完成した自分史を家族に見せると、ご主人や息子さんたちからはクールな反応で物足りなかったとか。ただ友人たちは「隣の家の事情を覗き見しているようで面白い」「よく書き上げたね!」と大絶賛。仕上がりのきれいさを褒める声もあったそうです。

「友人たちが喜んでくれたのは嬉しいですね。自分の人生を形にするって、やっぱりやってよかったなと思います。」

家族がどう感じるかは人それぞれかもしれませんが、「誰かが読んでくれて、そこに感想が返ってくる」という経験は、書き手にとって大きな励みになるものです。

 

5. 完成後の達成感と、次回作への意欲

作り上げた自分史について、末広さんは「とにかく作ったことで満足している」と言います。子どもたちの手元に“母の人生”が残る形になったという事実が、彼女に大きな達成感をもたらしているようです。

「いずれ私が死んだあと、子どもたちがこの本を見て、『ああ、こんなこと考えていたんだ』って思い出してくれれば十分ですね。次の作品も作りたい気持ちがあるので、日々感じたことをこまめに書き溜めています。」

実は末広さん、前作の完成から23年もの間、新しいメモを書き続けているそうです。『百日紅』というタイトルで次回作を検討しているとのこと。まさに、自分史は一度作って終わりではなく、“続編”を生み出す可能性も秘めている好例といえそうです。

 

6. これから自分史を作る人へのメッセージ

「生きている人の数だけ自分史はある」と語る末広さん。家族や友人からのサポートは特になかったものの、自分史の制作を手伝ってくれるサービスやセミナーがあったおかげで書き続けられたと振り返ります。

「もし迷っている人がいるなら、専門の会社に頼んだり、セミナーを活用したりするのをおすすめします。自分の想いをまとめるには大変な部分もあるけれど、書き上げたときの喜びは本当に大きいですよ。」

 

このたび弊社では、末広さんをお招きして「自分史セミナー」(無料)を開催することになりました。詳細は本稿末尾をご覧ください。

 

自分史が紡ぎだす可能性

末広さんの事例は、追い詰められた状況を“書くこと”によって乗り越え、家族に残せる形として仕上げ、その延長で実際に書籍化(『【自伝】縁ありき』)にも至ったという、非常に印象的なストーリーです。子どもや孫がいつか読んでくれれば――という願いから生まれた自分史は、書き手本人を救うと同時に、読む人にも新たな発見をもたらす存在になるかもしれません。

自分史を通じて改めて見つめ直した母親への感謝や、自分を支えてくれた人々への思いは、末広さんにとって“生きる力”を再確認する機会となりました。

あなたもぜひ、自分史を書くという選択肢を視野に入れてみてはいかがでしょうか。思わぬところで、大きな変化や達成感が待っているかもしれません。

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▶︎ 次回の記事:【新連載/第16回】 執筆中
▶︎ 前回の記事:【新連載/第14回】 自分史の総括――人生を振り返り、形にする意味と、贈る喜びと。
▶︎ 前々回の記事:【新連載/第13回】 デジタルで出版する新しいかたちを考える


【編集余話】
末広様は、ある日直接来社され、「お願いがあって。自費出版で本を出したいの」とご相談をいただきました。お持ちいただいた原稿はたいへん丁寧に書かれたもので、文章を整えたり、書籍の紙質をご相談したながら、本作りをご一緒しました。

原稿を読んで感じたことは、「母はほんとうに偉大なんだ」ということです。お母さまへの想い、お子さまへの愛に満ち溢れており、とても男性には真似のできない内容にただただ感服したものです。

本書は『【自伝】縁ありき』のタイトル通り、末広様を中心に60名ちかいご親戚が登場し、それぞれが深いつながりで結ばれていることがわかります。内容の濃い「自分史」であり、私にとっても思い入れの深い一冊となりました。

(編集担当・浜田)

 


 

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